祖父の思い出を抱いて咲く
今できること、一つひとつ。
- 石堂 ひかり
- 2019年新卒入社
- あゆみえん 医務課
- 看護師
大好きだった祖父が要介護状態になったのは、私が中学生の頃。若い頃にやっていた仕事が原因で肺を悪くして…。祖父の看病のために私たち家族は東京に引っ越してきたのですが、完全に寝たきりなるまで、よく遊びに連れていってくれましたね。病院で余命1ヶ月と宣告されてはいましたが、2年間、がんばってくれた。朝早くに起こされて「タケノコ取りに行くぞー!」って(笑)。東京は詳しくなかったし、学校もそんなに馴染めなかったから、祖父との外出はぜんぶ楽しかった思い出です。容態が急変したのは、私が14歳の年末。母は介護経験があったから排泄の介助もしていましたが、私は入浴を少し手伝えたくらい。何もできなかった。他界する2日前には声がほぼ出せなくなり、身体の自由が利かなくなっていた。それでも必死に何かをしようと震える手を動かしていました。何を話したいのか、何がしたいのか、分かりませんでしたが、祖父が亡くなった翌朝、「おじいちゃん、ひかりにこれを渡してくれって」と母から告げられ、お年玉袋を手渡されました。ああ、お年玉袋を準備しようとしてくれていたのか…。あの時、もっと祖父のしたいこと、伝えたいことが分かったら、できることがたくさんあったんじゃないか。そんな悔しい経験から、福祉の世界に進むことを決めました。

看護師になる前は、介護士として勤務。准看護師の資格を取ろうと決意を固めたのも、やはり、看取りの方を担当したことからでした。もともと持病がある方だったのですが、病院に運ばれる直前、祖父と同じように話せなくなり、わずかな身振り手振りしかできなくなられた。それでも何かを一生懸命に伝えようとされていて、祖父の思い出と重なりました。「このままじゃ、やだ。もっと知識を身につけたい。もっと自分にできることを増やしたい。」そう思い立ち、准看護師の資格を取得。2023年に医務課配属になりました。介護士時代は身の回りのケア全般でしたが、今は、お薬を服用してもらったり、病院への付き添いもできる。会話ができない状態であっても、身体がどういう状態なのか、何を考えていらっしゃるのか、以前と比べて少しは分かるようになったかなと思います。

今、心がけているのは、利用者の話をたくさん伺うこと。これまでの人生、好きなこと、不安、苛立ち、なんでもお伺いする。そうすることで、もしも話せなくなったとしても、何がしたいかを推測しやすくなります。そしてもう一つ、話を聞くのと同じくらい大切にしているのが、私自身、石堂ひかりについて話すことです。長い人生の最期、誰に看取りをやってほしいかを考えた時、自分が良く知る人を選ばれると思いますからね。その方の理解者であると同時に、その方が良く知る看護師でありたいと思います。そんな関係を築けたら、きっとできることが増えるでしょう。看取りをする中で、その方がいなくなった居室を見て、涙することもあります。辛いなって思うこともある。でも、この仕事を辞めたいなんて思いません。その方が元気でいらっしゃる間、私にできることを一つでも多くやりたい。たとえ、言葉にならない声だって、汲み取りたい。少しでも笑顔になっていただきたい。そのために全力を尽くします。あとで後悔したくは、ありませんからね。
